マズローの欲求5段階説は、知名度が高いぶん「知ってはいるが、自分の仕事にどう使うかは説明できない」理論の代表格です。

特に BtoB マーケティングの現場では、この理論を「従業員のモチベーション管理の話」として理解したまま止まっているケースをよく見かけます。本記事では、マズローの欲求5段階説を 「BtoB の買い手と、その社内で稟議を通す人の購買心理を読むレンズ」 として捉え直します。

理論の暗記ではなく、「どの検討段階の、どの欲求に、どのコンテンツで応えるか」という 受注導線上の判断材料 に変換することがゴールです。まず5段階を短く確認し、そのうえでセルフ診断と、検討プロセス5段階への対応設計に進みます。


マズローの欲求5段階説とは

マズローの欲求5段階説(Maslow's hierarchy of needs)は、人間の欲求を5つの階層で捉え、低次の欲求が満たされると、より高次の欲求が現れるとする理論です。心理学者アブラハム・マズローが提唱しました。

段階欲求ひとことで言うと
第1段階生理的欲求生存に必要な最低限(食う・寝る)
第2段階安全欲求危険を避け、安定したい
第3段階社会的欲求集団に属し、受け入れられたい
第4段階尊厳欲求(承認欲求)他者から認められ、評価されたい
第5段階自己実現欲求自分の可能性を発揮したい

ここまでは一般的な解説です。重要なのはこの先 ── 組織の購買は「会社」が決めるように見えて、実際に動かしているのは、その中にいる "個人" の欲求 だという点です。


なぜBtoBマーケティングでマズローが効くのか

BtoB の購買は、複数人が関与し、稟議を通し、論理で判断される ── と説明されます。それは半分正しく、半分は実態を捉えきれていません。

稟議書を書くのも、比較表を埋めるのも、最終承認のハンコを押すのも、生身の担当者です。そして BtoB の意思決定で特に強く働くのが、マズローでいう 安全欲求尊厳欲求 の2つです。

  • 安全欲求 = 「失敗したくない」:BtoB の発注は金額が大きく、社内に対して責任が生じます。担当者の本音は「この選定で失敗して、自分が責められたくない」。だから、機能が良いだけでは動かず、「失敗しない根拠」を欲しがります。
  • 尊厳欲求 = 「社内で評価されたい」:良い選定をして、稟議を通し、導入を成功させれば、担当者は社内で評価されます。「この導入は自分の手柄になる」と思えるかどうかが、推進力を左右します。

つまり BtoB の訴求は、製品の機能(自己実現欲求に近い「より良くなりたい」)だけでなく、「あなたが失敗しないこと(安全欲求)」「あなたが社内で評価されること(尊厳欲求)」を、どう保証するか で決まる場面が多いのです。

これは「顧客の検討プロセスを整理する」うえで見落とされやすい視点です。一般的なマズロー解説が従業員マネジメントで止まるのに対し、BtoB マーケでは 買い手と稟議者の欲求 に読み替えることで、訴求設計の判断材料になります。


【セルフ診断】自社の受注導線は、買い手の欲求段階に応えられているか

理論を学ぶ前に、自社の現状を把握することをお勧めします。以下のうち、自信を持って「Yes」と言える項目はいくつあるでしょうか。

【安全欲求 ── 失敗させない訴求があるか】

  • □ 1. 「導入して失敗しなかった」ことを示す事例・データを、コンテンツで提示できている
  • □ 2. 導入後の運用・サポート体制を、検討段階の早いうちに伝えられている
  • □ 3. 「他社はこう失敗するが、自社ではこう防ぐ」という対比を示せている

【尊厳欲求 ── 担当者が社内で評価される材料があるか】

  • □ 4. 担当者が稟議書にそのまま書ける「選定理由」を、こちらから提供できている
  • □ 5. 「この導入が成功すれば、推進した人が社内で評価される」構図を描けている

【検討段階との接続】

  • □ 6. 課題認識・情報収集の段階で、いきなり製品を売り込んでいない
  • □ 7. 比較検討の段階で、競合との違いを「失敗回避」の軸で語れている
  • □ 8. 社内検討(稟議)の段階に、稟議突破を助ける資料を用意できている
  • □ 9. 各段階で「読者が今どの欲求段階にいるか」を意識してコンテンツを出し分けている
  • □ 10. これらが営業・マーケで共通言語になっており、属人化していない

セルフ判定

該当数状態次にやること
8項目以上欲求段階を意識した導線ができている本記事後半の「対応表」で、抜けている段階を点検
4〜7項目一部は応えられているが、段階の偏りがある後半の対応表で、応えられていない欲求段階を特定して補強
0〜3項目機能訴求に偏り、安全欲求・尊厳欲求に応えきれていない可能性まず「買い手が何を恐れ、何を評価されたいか」の棚卸しから。後半がその順序を示します

「0〜3項目」でも、製品が弱いとは限りません。製品の良さを、買い手の "失敗したくない・評価されたい" という欲求の言葉に翻訳できていない だけ、というケースが現場では非常によく見られます。


💡 「4〜7項目」「0〜3項目」だった方へ

自社の訴求が機能説明に偏っていないか、買い手の欲求段階に応えられているか ── これは社内だけで点検すると、どうしても「作り手の視点」に引っ張られます。

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欲求段階 × 検討プロセス × コンテンツの対応表

買い手の欲求段階は、検討プロセスが進むにつれて移り変わります。BtoB の検討プロセスは、おおむね 課題認識 → 情報収集 → 比較検討 → 社内検討 → 発注判断 の5段階で進みます。各段階で前面に出る欲求と、応えるべきコンテンツは次のように整理できます。

検討プロセス前面に出る欲求応えるコンテンツ訴求の軸
課題認識・情報収集社会的欲求(自分だけの問題ではないと知りたい)ホワイトペーパー(業界課題系)「同じ課題を持つ企業は多い」と示し、安心して情報収集に入れる入口をつくる
比較検討安全欲求(選定で失敗したくない)比較資料 / ウェビナー「他社では◯◯で失敗するが、自社では△△で防ぐ」という失敗回避の対比
社内検討(稟議)尊厳欲求(社内で評価されたい・通したい)営業資料 / 稟議補助資料担当者が稟議書にそのまま書ける選定理由。「通した人が評価される」材料
発注判断安全欲求(最後の不安を消したい)提案資料 / 最終確認資料導入後の体制・サポートで「決めて大丈夫」を最終確認させる

ここで重要なのは、同じ製品の良さでも、段階によって「翻訳先の欲求」を変える ことです。

情報収集の段階で「失敗回避」を強く出しすぎると、まだ課題を眺めているだけの読者には重く感じられます。逆に、稟議段階で機能の素晴らしさだけを語っても、担当者が本当に欲しい「社内を通すための言葉」は手に入りません。

検討プロセスの整理と、それを商談化導線へどう組み込むかは、パイプライン管理とは もあわせてお読みください。


段階別・訴求設計の具体例

抽象論で終わらせないために、欲求段階を訴求に落とした例を示します(業界・規模は抽象化した一般例です)。

例1:安全欲求に応える(比較検討段階)

「導入実績◯◯社」という数だけの訴求は、安全欲求にはあまり効きません。効くのは 「自社と同じ業界・規模で、同じ不安を抱えていた企業が、導入後にどうなったか」 という具体です。「製造業・従業員300名・初めての SaaS 導入で不安だったが、運用定着まで伴走してもらえた」── このように 読み手が自分を重ねられる失敗回避の物語 が、安全欲求に届きます。

例2:尊厳欲求に応える(社内検討・稟議段階)

担当者が社内で困るのは、「良いと思うが、上司にどう説明すればいいか分からない」場面です。ここで効くのは、稟議書の論理をこちらが用意してあげること。「コスト削減◯%」だけでなく、「この投資判断が、半年後に成果として説明できる形になる」という、担当者が社内で評価される筋書き をセットで渡すと、推進力が変わります。提案資料・営業資料で「稟議を通すための材料」をどう組み立てるかは、営業提案のコツと成功事例(提案を通す8つのチェックリスト) もあわせてお読みください。

例3:欲求段階を取り違えた失敗

よくあるのが、課題認識の段階の読者に、いきなり発注判断向けの提案資料をぶつけてしまうケースです。まだ「自分の課題が何か」を探している段階の人に、「今すぐ決めて大丈夫」と迫っても、安全欲求どころか警戒を生みます。相手が今どの欲求段階にいるかを読み違えると、正しい内容でもタイミングで外す ── これが、コンテンツはあるのに商談化しない典型的な詰まりの一つです。


マズローを使っても訴求に落とせない、よくある詰まり

理論を知っていても、次のような症状が出ているなら、欲求段階が訴求に翻訳できていない状態です。

  • 機能一覧で勝負してしまう:安全欲求(失敗したくない)に応える事例・保証が薄く、比較表の◯×競争に飲み込まれる
  • 稟議で止まる:担当者は乗り気だが、社内を通す言葉(尊厳欲求の材料)を渡せておらず、商談が社内検討で停滞する
  • 段階を無視した一律訴求:全員に同じ訴求を当て、課題認識の人にも発注判断の人にも同じ資料を出している
  • 属人化:エース営業は感覚で欲求段階を読み分けているが、言語化されておらず、組織で再現できない

これらは「製品が弱い」のではなく、「製品の良さを、買い手の欲求の言葉に翻訳し、検討段階に合わせて出し分ける設計が無い」ことから起きます。


まとめ

マズローの欲求5段階説は、従業員マネジメントの理論として知られていますが、BtoB マーケティングでは 買い手と稟議者の購買心理を読むレンズ として使えます。組織の購買を動かしているのは、最後は「失敗したくない(安全欲求)」「社内で評価されたい(尊厳欲求)」という個人の欲求だからです。

実務に落とす順序は、

1. 自社の訴求が、安全欲求・尊厳欲求に応えられているかをセルフ診断する 2. 検討プロセス5段階それぞれで、前面に出る欲求とコンテンツを対応づける 3. 同じ製品の良さを、段階ごとに違う欲求の言葉へ翻訳して出し分ける

という流れです。理論を覚えることがゴールではなく、「どの段階の、どの欲求に、どのコンテンツで応えるか」を設計できること が、商談・受注につながる導線の条件になります。

この翻訳作業は、自社の製品を熟知しているほど「作り手の視点」に寄りがちで、社内だけで進めると時間がかかります。そこを過去の受注事例から一緒に解きほぐすのが、Prollect の役割です。


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